最後の東京口寝台特急で行く九州の旅


 2008年10月27日、午前中で仕事を終えて身支度を整えて向かった伊東駅。14時10分過ぎに着き14:17発の熱海行きに乗る。導入から数年経過しているが、どうも好きになれない伊豆急8000系。来年春には最後の編成が竣工し、200系列が全廃となる。

 熱海から14:50発の東京行きに乗車。16:36定刻に東京駅9番線に到着すると、隣の新幹線ホームには200系K編成が停車中。塗装はリニューアル時に変えられてしまったが、この系列が現役で走っている事は嬉しい限り。置き換えが進んでいるようだが、まだまだ活躍を続けてほしいもの。


 構内で今夜の晩餐品を仕入れて17時15分過ぎ、ふたたび9・10番ホームへ戻ると既に10番線発車表示には今夜乗車する列車の表記がなされていた。

 17時20分、構内放送が流れ折り返し1レとなる列車の入線を告げる。発車時刻は18時3分、発車の40分以上も前からホームに据えられる列車、寝台特急「はやぶさ・富士」号の熊本・大分行きである。
 
過去、東京を発ち西日本・四国・九州へは数多くの寝台列車が運転されていたが、純粋に寝台列車と言える列車は今やこの列車のみとなってしまった。


 この日の牽引機はEF6651号機。回送列車を牽き入線するとすぐさま切り離され上野寄りで待機、9番線が空くのを待って機回しされる。以前は、次の寝台列車の牽引機が回送を担っていたが、それも過去のものとなった。最後尾の12号車に掲出されるテールサインは富士号のもの。門司まで手を組む「はやぶさ」のマークは機関車のヘッドマークでしか見られない。


「ブルートレイン」


長距離寝台列車の代名詞。青い車体に白い帯、電源用のディーゼルエンジンを響かせ乗客を待つ。

ホームには大きなキャリーバックを携え、自分の乗車する車両を探す乗客の姿。

忙しなく帰宅の途につくサラリーマンが行き交う東京駅の一角、10番線ホームだけは「旅」に胸を弾ませる人々の姿がある。


機回しされた機関車が列車の先頭に連結されるまで客車の扉は固く閉ざされたまま。乗客は思い思いの姿でその時を待つ。

通勤電車の1車両定員ほどの乗客が待つホームは他の慌しいホームとは別世界。ゆとりの時間が流れる。

煌々と灯るテールランプ。いつしか通り雨が車体を打つようになる。旅先の天候は大丈夫だろうか?


 2列車併結で運転される1レ。定期列車として東京駅を発つ東海道本線の客車列車はこの1レだけとなってしまった。そして、この最後の客車列車も来春のダイヤ改正をもって姿を消す。時代に流されることなく「旅」の時間を提供し続けてほしかった寝台列車が、東海道本線から無くなるのである。

 17時45分、乗車案内が流れ扉が開かれる。各車両1箇所の乗降口から乗客が車内に流れていく。

 そして18時3分、定刻に東京駅を発車する。既に陽は落ち都会の明かりが出発を見送る。浜松町付近で見た東京タワーがとても綺麗だった。


 一般的な開放型B寝台車。寝台を仕切るのはカーテン一枚のみ。シーツに枕、薄手の掛布に浴衣。6,300円の寝台料金はお世辞にも安いとは言えないし、セキュリティーの問題もある。開放寝台は時代遅れの象徴となった印象がある。


 同じB寝台ながら個室化されたSOLO。開放寝台は34名定員に対してSOLOは18室(18名)。乗車定員は減ったが、プライベートが保たれ、セキュリティーも強化された事で人気を博した。しかも、開放寝台と寝台料金は同じである。


 さらに個室にゆとりをもたせ、洗面台を装備したのがA寝台「シングルDX」。1両に14室だけしかない車両。残念ながら個室内を撮る事は出来なかったが、通路や扉も少し上品な印象を与える。
 しかし車両自体は昭和40年代後半から50年代前半に製造されたものが大半。登場から30年ほど経ってなお現役である。


 各車両の九州寄り車端部には便所・洗面台が2組あり、その真ん中に飲料水の給水器がある。開いて使う紙コップも滅多にお目にかかれなくなってしまった。この冷水器自体も風前の灯であろう。

 そして洗面台の傍らには水量計が備わる。洗面台で使える水の残量を表示する。寝台列車最盛期には針が結構振れたと言うが、現在では、ほとんど振れる事もないと言う。それだけ需要が減っているのだろう。


 その洗面台も、製造当初からの陶器製のものから、改装されて自動給水式になったものもある。製造当初のものはレバーを押さえていなければ湯水が出ないのでコツが必要だった。


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