2004年早春の川根路 梅咲きだす頃


 田野口駅北川の紅梅もだんだんと色付いてきた。赤い花に赤い電車も意外と似合うもの。吊掛駆動音を響かせ千頭へ向けて発車する。


 焼津で同窓会があると言う二人は幼馴染み。列車の待ち時間に暫しの談笑、途絶えることのない世間話で待ち時間も短く感じられたのではないだろうか。上り列車がホームに差し掛かるまで笑顔が絶えなかった。


 昭和の時代に当線へ入線した車両もこの313Fを残して全て引退してしまった。昭和31年製造の同車は昭和55年の譲渡、西武鉄道で日本の高度成長期を過ごし24年。そして第2の人生をのんびりと過ごしてきた大井川で24年。随所に疲れが見えてきている。この田野口の紅梅をあと何年見る事が出来るだろうか。


 代わって1002レを牽引するC11190号機は今年初めて大井川の地で梅を眺める。四季折々の花が彩る大井川鉄道沿線に馴染む日も近いだろうか。


 田野口を通過する1002レ、午後の陽射しが暖かくゆったりとした時間が流れている感じがするローカル線らしい一こま。撮影後、昼食を済ませて家山へ移動すると既に火を落として佇むC11190号機が西日を受けて輝いていた。前日の雨が嘘の様に晴れ渡った一日だった。


 やがて102レが家山駅に進入してくる。架線を避けて撮ればそこは昭和30〜40年代を思わせる光景が広がる。


 復路もあと10分ほど、家山駅構内で休む同僚に見送られ102レが発車していく。SL列車を中心とした定期外旅客が8割方を占める大井川鐵道、神尾駅付近の土砂崩落事故によりその定期外旅客も大幅に落ち込み厳しい状況におかれている。大胆にも機関車や客車を陸送して再開されたSL列車のおかげで僅かながらでも増収と沿線観光の足の確保に努めてきた。設備の整わない環境の中これまで奮闘してきた大鐵の方々・たび重なる時刻変更や代行バス乗換えの不便を我慢してきた沿線の方々にやっと安心出来る日がやってきた。


 102レが発車するとちょうど下校時間帯になる。ホームで無邪気に遊ぶ子供達も崩落事故の影響を受けている。電車がいつもより遅くなっているのだ。


青く澄み渡った空の下、単機回送が家山川橋梁を渡る。気温が上がったお陰か煙はおろか蒸気すら上がらず走り抜けていった。


キャブに見る機関士の表情は笑顔、旅客仕業の時には見せない安堵の表情がそこにはあった。


 幸いにも崩落現場の復旧工事は国と県が負担し、鉄道線の復旧にも沿線川根3町の支援が得られた。長く続いた辛く厳しい環境もあと僅か。トンネルの向こうに続く線路は明るい陽射しに照らされた大井川鐵道の鉄路。明るい未来を期待したい...(敷地外より望遠系で撮影)


                       

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