し ら さ ぎ 号  里 帰 り


 昭和38年、日本車両において試作された日本初のオールアルミカー「しらさぎ」。北陸鉄道加南線に配置され、その白銀の車体色と山中温泉を結ぶ路線に配置された事から(山中温泉はその昔、白鷺が発見したと伝えられている)、愛称を「しらさぎ」としデビュー。同線のロマンスカーとして活躍してきた。
その後、国鉄の特急停車駅再編により、加南線との接続駅であった大聖寺が特急停車駅から外れると同時にモータリゼーションの発達により利用者が激減。
昭和46年、加南線廃止に伴い「しらさぎ」と前年に登場した「くたに」が同じ名鉄グループであった大井川鉄道に引き取られた。
 大井川鉄道への移籍直後は両線の架線電圧の相違から動力車を連結し「しらさぎ」の愛称もそのままにトレーラー扱いで運用を開始、のちに昇圧改造を行い「しらさぎ」は独立した編成として活躍した。一方「くたに」は「あかいし」と名を変え同様にトレーラー扱いで運用を開始したが、こちらはカルダン駆動車であった事がアダとなり後に電装解除され完全に付随車となった。
 転換クロスシートを装備し当時としては格段に車内設備が整った車両であった事やアルミ車体で腐食が少なかった事もあり、長年に渡って活躍してきたが、のちの車両の増備や足回りの老朽化などにより平成13年秋に運用離脱、千頭駅に留置されていた。

 今年6月、北陸鉄道加南線が通っていた山中町から「しらさぎ」を譲ってほしいとの話が舞い込んだ。
町制50周年を迎えた同町が町史を編纂していたところ、加南線で活躍していた車両が現存していないか。と話が持ち上がり調査の結果「しらさぎ」が候補に上がった。町の記念品として保存展示したい...。そんな話を受け、大井川鐵道は「初任地へ帰そう」と無償譲渡を決定した。
話が大井川鐵道に来てから僅か2ヶ月、8月6日(土)、「しらさぎ」は30余年もの長い間走り続けた川根路を後に加賀・山中へと旅立った。
この旅立ちの記録を数年間留置されていた千頭駅を発つところから追ってみた。


 平成17年7月28日22時過ぎ、既に千頭駅1番線に据え付けられた「しらさぎ号」は金谷側にE102・千頭側に「いぶき」を連結した状態で最終電車の到着を待っていた。26・27日と千頭駅の留置場所にて台車などの点検を行なったようで、ブレーキ管も引き通され制動確認もなされていた。


 オリジナルの前照灯が点灯??ではなくE102が車両を照らした際に映りこんだ灯りが灯火させている様に見える。シールドビーム化の際に点く事がなくなったオリジナルの前照灯が懐かしく思えた。


 22:39 千頭駅に最終電車が入線する。その前照灯がアルミボディを照らし反射させる。


最終電車が到着すると1番線の出発信号が「青」を表示する。これが大井川鐵道で「しらさぎ」に出される最後の出発信号となる。


 最後のブレーキテストを行い、発車の時は迫る。最終電車の運転士や駅長も見送りに来た。回送列車には運転士を含めて6・7人の職員が乗り込み、低速輸送とは言え、4年ほど留置されたままだった車両の輸送、万全を期す体制で発車する。


 22:52 発車ベルが鳴ることもなく静かに列車は動き出した。制限速度25km/hでゆっくりと新金谷へと運ばれてゆく。


 翌朝7時、無事に新金谷で「しらさぎ」の姿を見ることが出来た。輸送中の異常も見つからず輸送されたと聞き安心した。


入換えが行なわれ機関車から切り離された「しらさぎ」がC11190と並ぶ。


ここ新金谷で「しらさぎ」とC11190が顔を合わせるのは初めて。


何の違和感もなく新金谷に佇む「しらさぎ」。この日はドアや窓を開け、車内の風通しなどを行なっていた。


 この日、東海道スジではJR西日本向けの103系甲種回送があった。大代川の傍にある二軒家踏切で待つことに。ATS−P絡みでの車両不足を補うためにJR東日本から購入したそうだ。


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