家山に着くと側線で客車の整備が行われていた。鉄道寸断によりSL列車も運休状態が続き観光客が激減している。この時期は旅行会社のツアーなどもあり川根3町への入り込みもそれなりにあったはず。土砂崩落から続く運休によりこれらツアーも一般客も全てキャンセルとなり、前記した様に町全体の産業にも影響を与えている。

 そんな状況もあり、SLと客車をトレーラでここ家山まで運ぶ計画が先月末にはまとまり、道路使用許可などの手続きがなされた。しかし、当初の計画は機関車の重量の点で一部道路橋の重量制限を超えてしまう為に許可がおりなかった。そんな事で計画を中止する事は出来ない、新たな案を提出し何とか陸送の許可が出た。

 そこからが早い!9月11日深夜から12日早朝にかけてSL・16日深夜から早朝にかけて客車2両・そして最後の客車2両が運ばれ、前代未聞の陸送計画が完了した。

 SLの組み立て・客車の組み立てと大井川鐡道車輌科の方々の手によって進められ、この日は土砂降りの雨の中しかも休日返上で作業が行われていた。一日も早く区間運転を...鉄道も町も干上がってしまう...そんな気持ちが彼らにはあるのだろう。それだけSL列車の存在は川根にとって重要な位置づけにあるのだ。

 降り続く雨に神尾の崩落現場が気にかかる。また崩れたら...客車の雨樋から流れ出る水の多さに雨量が想像出来るだろう。


 「どうしてSL走ってないの?」と聞く子供に「土砂崩れで線路が使えないんだって。また走れる様になったら来ようね。」と言う母親。寂しそうにする子供の姿が印象的でした。

 必死になってSLの区間運転を行う訳があります。鉄道は生きている...地元の僅かな利用者の足を守る為、SL列車は必要なのです。

 嘱託職員により切符は窓口で対人販売されている。一言一言に温かみを感じられるのが地方色だろう。

 木製の改札ラッチも今や貴重なもの。千頭行き列車がゆっくりと発車していきます。


どうやら傘を持たずに来た様子の女性。上り列車がドアを開くと一目散に列車へ向かって走っていった。

 整備の進む客車が無造作に留置されている。いつか見た地方ローカル線の車輌区の雰囲気。

 その傍らに下り列車が到着する。こちらも年代物の古株。大井川に来てもう23年が経過した313F。

幸せの黄色い傘...唯一家山駅で下車した「黄色い傘」を手にする女性。少なくても利用する人がいる限り、大鐡は走り続けます。


 西の湘南フェイス南海21000系と交換して発車する東の湘南フェイス西武351系。別々の鉄道会社の車輌が交換するのも大井川ならでは。

 駅前のベンチではさきほどの女性が迎えを待っていた。傘に付いた雨粒をクルクルと回し掃っていた。

 何とか花持ちしていた地名駅に移動。下り列車は随分と後方で停車した。

 予想に反して上り列車でやってきた313F。いつもならお昼寝している時間帯に...何かあったのだろうか。

彼ら学生達にとっても大鐡は大切な足。部活帰りの学生達の後ろを加速してゆく313F、まだまだ現役の走りです。


 10月1日から駅名が「川根温泉笹間渡」に改称される笹間渡。川根温泉最寄駅で利用者へ判りやすくするために「川根温泉」としたが、地元の方々は「笹間渡」の名を残したく合わせてこの駅名になったと言う。
 
 この駅名表も9月末までしか見られない。

 川根温泉が湧出したお陰で笹間渡周辺は大きく姿を変えた。もちろん鉄道もそうで、駅舎こそ手が入れられた程度だが、ホームは昔の面影を残さないほど綺麗に整備され、上下ともに電車急行が停車する様になった。静かな小駅が一変してしまった笹間渡がまた変わろうとしている。温泉のお陰で町の活性化に繋がったのは確かだが、地の名を残したい地元の人々もいる。「川根温泉」と「笹間渡」、新と古の融合が町の中でも見られる事を願いたい。
 古の記録として「笹間渡」の駅名表を撮り新金谷へ戻る事にした。


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