D B 列 車 に 乗 ろ う !


 晩秋の奥大井、12月の声を聞いても沿線には紅葉が至るところに見られる。12月1日(月)、秋の紅葉シーズン輸送もひと段落してオフシーズンダイヤとなったこの日、シーズン中の有事に備えて井川駅に常駐させていたDB1形機関車を回送するための臨時列車が設定された。
 単機回送も可能ではあるが、ブレーキの面で単機だと不安がある事から、cスハフ1形客車を2両送り込み、列車を組成して帰す事とし、それならばと、旅客扱いをする事が急遽決まった。
 
 10:05、川根両国車輌区から203レとなる列車が千頭へ回送され、既に6番線奥に留置されていたcスハフ1形客車と連結される。なんと、DD20型機関車を真ん中に挟む形で列車が組成されている。


 発車時刻を待つ203レ。前3両は何のことない通常の井川線旅客列車。機関車を挟んで後ろ2両が昭和の香り漂うcスハフ1。今の基準では製作する事の出来ないスタイルはやはり一番人気!


 井川線の6番線ホームにひっそりと、0キロポストが立っている。井川まで開業した頃から在籍するcスハフ1形客車と共に、井川線の歴史を刻むアイテムである。そして、サボは「かわかぜ号」ではなく、「千頭−井川」のサボが。多客期には通常列車に組み込まれる事もあるが、DBと組んで井川から走るのは久々の事。


 10:35 千頭を定時に発車した203レは次の川根両国へ。機関車を挟んだ形の珍しい編成、これも滅多にある事ではない。


 川根両国駅を発車して両国吊橋をくぐり井川を目指す。通常は機関車が最後部から後押しする形で井川へ向かうが、この組成だと客車後方からの景色を楽しむ事が出来る。これも定期の402レ以外では体験出来なくなってしまっている。


色落ちし始めてはいるが、まだまだ紅葉の色付きが見られる寸又川橋梁を行く203レ。


 角張った現代車両にはない、曲線美があるcスハフ1形客車。デッキ上の屋根の形状など綺麗な弧を描いています。これが、製造当時は工事に携わる作業員輸送用として作られたとは思えないデザインである。


 10:58、川根小山駅を発車する203レ。12月のオフシーズンダイヤに入ると、井川線は保線期に入る。これからレール交換や保線作業が各所で行われる。列車通過のひと時が休憩時間。


 下流域の川幅の広さからは想像出来ないほど狭まり谷深くなる大井川。その谷の一部にへばり付く様に線路が敷かれている井川線。奥泉駅を過ぎると人家も見られなくなり、自然の中を行く山岳列車の様相を見せる。


杉林を抜け視界が開けると第一大井川橋梁で大井川を始めて渡る。すぐ上流にある大井川ダムの影響で水量はとても少ない。


アプト市代駅で列車の後部にアプト式専用電機のED90を連結して急勾配に挑む!


標高480m前後の山中でもまだ色付いてますね。山肌にへばり付く様にして日本最急勾配区間を登っていく。


 11:40、接岨峡温泉駅に到着する203レ。既に千頭行きの202レが駅で到着を待っている。


【動画】 接岨峡温泉駅を発車する203レ 【動画】


 接岨峡温泉から列車に乗車した。乗った車両はもちろん後部のcスハフ1形客車。先頭から最後部まで約60m、急曲線の続く井川線では、後部車両から前方を望む事も十分に出来る。


 cスハフ1形客車の乗降は車端部のデッキから行う。列車の最後尾にこの客車が付くと、乗降デッキが展望デッキとなる。アプト区間開業に伴い、機関車を最後部に連結する運転方式に変わってから、下り列車でこの眺望を楽しむ事が出来なくなってしまった。
 この客車、デッキと車内との扉はあるが、乗降デッキはチェーンが2本張られただけ。現行の保安基準では到底、許認可される構造ではない。今や貴重な存在である。


線路敷きが一面落ち葉に覆われ、さながら「落葉ロード」と化している。晩秋ならではの光景が続く。


 cスハフ1形客車の車内。ロングシートが端まで並ぶだけの簡素なもの。製造当時は作業員輸送用だけあって、座面は板張りだったと言う。網棚や手摺り以外は木造、現在では内装に木を使うとなると、難燃化材を使用しなければならない。
 幾多のトンネルを抜け、車窓に井川ダムが見えると、まもなく終点の井川駅。


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