祝 復旧! 7ヶ月ぶりに響く鉄路の音!


 平成15年8月16日の夕方から翌17日未明にかけて崩落した大井川鐵道神尾駅付近の仮復旧のニュースが流れた。世間では公立学校の終業式となる3月19日がその日だ。あの大規模災害から僅か7ヶ月で、仮とは言え復旧に漕ぎ着けることが出来たのは、前々から記している通り昼夜3交代24時間体制で行われた復旧作業のお陰でもある。短い様で長かった7ヶ月...復旧初日の大井川鐵道を追ってみた。


 3月18日、春闘回答指定日のこの日本社ビルを何時に出られるか...そればかりが頭を過ぎる。回答は出た、ただそこへ至るまでのプロセスで一悶着あり、結局本社ビルを出たのが17:45。大急ぎで東京駅へ向かい新幹線に飛び乗る。この日は午後から金谷〜福用間をバス代行として試運転・調整などが行われていたそうだ。その代行バス最終便から記録したかったからだ。

 東京6:23発 こだま481号にギリギリ間に合った。静岡で在来線に乗換え金谷に20:44着。21:10発の最終代行バスを待つ。

 JRからの乗換え口には代行バスになる旨・そして明日から全線復旧する告知がなされていた。ホームには横断幕が掲げられいよいよ復旧するんだ!と言う感じが伝わってきた。

 そして20:55、福用からの代行バスが到着し折り返し最終の福用行き代行バスとなる。約7ヶ月に及ぶ代行バス業務もこの日を以って終了することとなる。車両不足となる秋の行楽シーズンを静鉄ジャストラインに委託し急場を凌いだり日切線廃止により捻出された車両を使ったりと数々の山場を抜けて何とかこの日を迎えた。その最終バスの運転士は何と女性、大型観光バスにも女性進出が進んでいるんですね。


 新金谷駅の代行バス乗り場は駅正面、JRの遅れを受けて10分ほど遅れて到着した。新金谷で1人の乗客を乗せすぐの発車となる。

駅長他数人の職員が見送ると、代行バス乗り場の張り紙を剥がす。



「もうこれもいらんだろ」と...


 一夜明けた金谷駅、復旧に合わせて行われたダイヤ改正で金谷始発が6:00となった。いつもと同じく新金谷発の列車運転士が駅を開ける。何も復旧を告げる装飾が施されている訳でもない列車が止まっている。

 復旧が判る物と言えば車内張り紙と仕業札が全線のモノになっている点だけであろうか。今まで金谷〜横岡(仮)を往復するだけの仕業札だったが、今日からは大井川本線全線となる。


 新金谷で数人の鉄道職員が乗車し前方確認を、そして各踏切には保線職員が立ち動作確認・安全確保を行っている。役目を失った横岡(仮)駅を通過し久々に大井川沿いを暫く進むと最初のトンネルである牛御前トンネルに進入する。手前の場内信号機にはビニルが被せられ使用停止状態となり、いま現在は神尾駅が交換駅ではない事を物語っている。

 牛御前トンネルを抜けるとまもなく工事区間となり25km/hの制限がかかる。ノロノロと進む先には沢山の作業員の姿、そして左山肌にはコンクリートが吹付けられた絶壁、そして防護柵が見え始めると、あの崩落事故現場となる。真新しい木材の壁が事故現場を隠すかの様に高く連なる。交換されたバラストがやけに白く見えると下り線のポイントが見えてくる。そのポイントは壁手前で途切れ、本復旧までこのまま置かれることになる。


 神尾駅に進入、ホームには早朝にも関わらず数人の記者らしき姿が見え、傍らでは作業員や大鐵職員がカメラを向けている。6:17、定刻に神尾駅を発車すると添乗していた職員から笑みがこぼれた。いくら試運転をしたとは言え、やはり営業列車を通すに緊張していたのだろう。


 下り始発の1レは福用で千頭始発の2レと離合する。1レが福用に着く頃にはすでに入線し到着を待っていた。数人の大鐵職員の方と共に2レに乗り換えると、以前福用で見ていた崩落後の2レより乗客が増えている感じがする。

 抜里から乗ったと言う彼女達は崩落事故後、乗換えの不便さから親に金谷駅まで送ってもらっていたと言う。ただ単に観光利用が減っただけでなく、不便がゆえに地元の人々でも敬遠してたという事実が垣間見られた。


 2レで神尾に戻る車中、運転表示機に久々「神尾」の文字が表示されている。これも7ヶ月ぶりのこと、何もかもが当たり前なのに今までずっと見られなかった光景が広がる。

 神尾に戻り暫し構内を見渡してみる。H鋼を境に山側では引き続き法面補強工事が続けられている。そしてその工事車両の通路として構内踏切が設けられた。元々は下り側ポイントがあった辺りである。そして何とか形を留めたタヌキが数体避けられて置かれている。利用者への安全対策もとられ、ホームはアスファルト舗装されてたが駅舎などはそのまま残されていた。本復旧までの間にどう変わるかも見ものだろう。


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